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建築家・隈研吾氏が手がけた ジャパン・ハウス サンパウロの建築様式

日本の伝統建築技術、緻密さ、繊細さを象徴し、樹齢100年を超える日本のヒノキで造られた、インパクトあふれるファサードと、コボゴと呼ばれる中空の要素の組合せから着想を得て生まれたファサード。それぞれ異なるインスピレーションから生まれた外壁は、2つの世界が出会う場所です。

これこそが、隈研吾氏による日本とブラジルの交流を表現したジャパン・ハウス サンパウロです。ジャパン・ハウス サンパウロは、サンパウロ市民に親しまれるパウリスタ大通り52番地に設立されました。プロジェクトの依頼を受けた隈氏は、既存の建物を改築し、ブラジルの建築事務所FGMF Arquiteturaと協力しながら約2,500m2のスペースを、独自のアイデンティティを持つ場所へと変化させたのです。内部は、和紙で覆われた金属メッシュによって、軽やかで光あふれる空間に演出されています。

パウリスタ大通りに面するヒノキのファサードは、300年もの歴史をもつ「地獄組み」と呼ばれる建築技術を用いて、日本の職人によって仕上げられました。36mにも及ぶファサードは、630の大小のヒノキのパーツがまるでパズルのように織り成し、ゲートだけでも300のパーツが使われています。

高級木材のひとつであるヒノキは、成木となるまで約100年もの歳月を要します。ヒノキは、神道において神聖な樹木と考えられており、神社や寺院の建造でも用いられています。「日本で最も貴重な木材のひとつ。独特の質感と芳香を併せ持つヒノキを使うことで、日本の精神の心髄をブラジルの人々に示したかった」と隈氏は語ります。

木のファサードを造るというアイデアは、隈氏がイビラプエラ公園内の日本館を訪れた時に生まれたものです。イビラプエラ公園の日本館にも建築材料としてヒノキと、木組みの技術が用いられていました。60年以上前、隈氏を指導した建築家・内田祥哉氏の師匠にあたる、堀口捨己氏(日本における現代建築の最初のムーブメントを作った一人)が日本館の設計に携わっていたのですが、隈氏は今回、その技術を完全に現代風にアレンジして採用しました。ジャパン・ハウス サンパウロは、著名な建築家たちのDNAを宿し、サンパウロに日本建築の一つの表象を生み出したという点で、唯一無二であると言えます。

コボゴ

Madeira, washi e concreto: a receita do arquiteto Kengo Kuma para a JAPAN HOUSE São Paulo

隈氏の建築の特徴の一つに、その土地の素材やトレンドを設計に取り入れることが挙げられますが、ブラジルではこの地の建築界でもメジャーな二つの要素に着目しました。それが、コンクリートとコボゴです。コボゴとは、30年代にペルナンブコ州レシフェの3人の技術者が考案し、50~60年代にブラジルで大ブームを巻き起こした、光を通す中空のブロックです。隈氏はこれら2つの要素を組み合わせ、トレーゼ・デ・マイオ広場側に面したジャパン・ハウス サンパウロの第二のファサードを構成するため、90cm角のコンクリートのコボゴを生み出しました。日本の木材で作られたファサードと、ブラジル特有の白いコンクリート製コボゴで造られたファサード同士の対話が、ここに織り成されているのです。

建物内部には、隈氏のアイデアである、和紙で覆われたメッシュ状のパネルが使われており、来館者は日本の伝統工芸である和紙に触れることができます。さまざまな植物を原料とする和紙は、日本では間仕切りや襖など大きな引き戸に使用されており、また襖の開閉は、空間に可変性をもたらします。

例えば、セミナールームは引き戸式の仕切りによって、10~100人を収容できるスペースとなっています。隈氏は、そこに和紙を使うことを検討しましたが、それには強度を上げる必要がありました。そこで、金属メッシュを覆うものとして和紙を使うことを考え、和紙職人の小林康生氏がその実現を引き受け、見事成功させたのです。今後、同氏が設計した、他国の建築でもその技法の使用を検討されるとのこと。隈氏はジャパン・ハウス サンパウロで、木材や紙などの自然素材を革新的な方法で使用し、軽やかさと光を感じさせる空間を生み出しました。職人の手仕事を通じて、人とその生活を豊かにする日本文化との出会いを、ファサードから始まるこの場所に創り出したのです。

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